現在地:ホーム経営者インタビュー>来日して会社経営(1/3)
 
日本に来たのは87年の4月ですね。どうして留学しようと思ったんですか?
それは、妻が政府の派遣で日本に来ることになって。一緒に留学して欲しいって言われました。それで、私の好きなことをやらせてくれるのなら、という条件で行ってもいいと答えました。そして、私は政府の仕事を辞めて埼玉大学経済学部の研究生として留学することにしたんです。
そしたら日本にきて間もなく、知り合いになったパソコンやソフトハウス会社の社長さんたちに、一緒に中国に行ってほしいと頼まれたんです。彼らの目的は、中国での「天才探し」でした。
それが87年の4月ですか?
そうです。6日間の日程でした。当時はパソコンの日本からの持ち出しも、中国への持ち込みも禁止されていたんですが、税関で「これは何ですか」と聞かれたときに、「テレビとビデオです」と言ったら無事に通ったんですよ。当時、中国のほとんどの人にはパソコンと言う概念がないし、パソコンの存在自体を知らなかったんです。
それから中国科学院に連れて行って見学したんですけど、みなさんが「張さん、ほかに人を集められませんか」と言うので、次の日の夜に、北京市のソフトウェア関係の企業、当時は全部国営でしたけど30社ぐらいの社長を集めて紹介したんです。
いったい、どうしてそんなに集められたんですか?
私がもともと北京政府の役人だったから出来たんですよ。ほかにも私が知っているコンピュータのソフトウェア技術者を集めてパーティをしたりしていました。みんなの協力で結構いい人材が見つかったんです。
東京に帰ってきてから、みんなで反省会をやりました。社長さんたちは「張さん、ご苦労様でした。ここまでやってくれると思わなかった」とほめてくれました。それから日当2万円の報酬以外に6社で10万円ずつ集めて、追加で60万円のコンサルタント費を私に払おうとしました。でも私は「働いた分の報酬はもうもらったから、このお金は受け取れません」と断ると、社長さんたちは「これから中国人技術者が日本に来るから、面倒を見てください」とさらに勧めました。それを聞いて私は「もしどうしてもこのお金をくれるなら、私が日本で会社を作りたいです。むしろこれを資本金として出資してくれませんか」と提案しました。
すると一人の社長さんが、ちょうど今休眠させようとしている会社があるから、それをやってみてはと言うんです。私は、それでもいいですよと。そこで資本金400万円のうち、私が150万円を社長さんたちに貸してもらい出資し、残りの250万円を社長たちは出してくれて、私はその会社を譲り受けたんです。
政府で日本語の通訳 来日して会社経営(2/3)